Linux 20周年記憶に残ること
Linux 20周年で、Linus Torvaldsさんが来日し、6/1-3のLinuxCon Japanに参加しました。 この20年に関わった人は、それぞれに感想をもったとおもいます。そのなかのひとりにあかいさんがいます。あかいさんは、LinuxFoundationの20年史をポイントしつつ、それ以外に
20年で記憶に残るマイルストーンには、何があったのだろうか
と提起しています。あかいさんが初めてLinuxを知ったのは、1995年の神戸・阪神大震災のとき、と記しています。わたしが初めてLinuxを知ったのは、1994年の夏くらい、使い始めたのは、1995年4月に社会人となって最初の給料でPCを買って、初日にプレインストールのWindows3.1Jを消し去ったとき、からです。
なぜ、山形浩生氏の活動が、Linux 20年史と関係してくるのだろう。
山形さんには、1990年代後半、TLUGの活動の中で、お話させていただく機会が数度ありました。このときは、TurboLinuxの前身Pacific HiTechのクリフ・ミラーさんとも交流があって、1998年くらいにNTTデータにきていただいて、Linux推進派の社内エンジニアたちと日本の情報産業の構造と、システムインテグレータが取り扱うに必要な環境などについて、意見交換したこともありました。
このころに、エンジニアやLinux開発者は、技術だけではなく、ライセンスや倫理や経営についても理解を深めないといけないと思ったのですが、ここには山形さんの影響を受けている気がします。
私が、OSS/Linuxの世界に深く入っていくきっかけになったのは、1989年前後のGNU Manifestの引地さんの訳だったのだけれども、1990年代前半の東北大学在学中に黒木さんやその辺りの一派による社内掲示板での議論の影響もすごく強かった。
そして、2003年くらいから、あかいさんがLinux/OSSをぐいぐい引っ張っているとき、私も、Linux/OSSを業界の別の地点から押していったんですよね。 てなわけで、2003年以降に互いを認識したあかいさんと私の間には、それ以前に共有するものが結構あったのでした。