SuSE創業者が離れる
創業者の影響力はDistributerでは強いものだ
先週、SuSEの創業者Hubert Mantel がSuSE/Novellを離れた模様だ。2004年の買収から1年以上たってのことだが、いったい何があったのだろうか。
2004年から2005年を振り返ってみると、Linuxディストリビューションがエンタープライズ向けに大きく舵を切り、それが定着してきた一年とみることができる。おそらくHubert Mantelが13年前(つまり90年代前半だ)に操業したときとは、ビジネスもそして求めていく技術も大きく変わってきただろう。
90年代前半といえば、91年のLinusによるLinux開発のNetnews投稿やTurbo Linuxの前身となるPacific Hi-Techの操業、92年のSuSEやRedHat Linuxの操業、Windows 3.1の発売など、新しいコンピューティングの黎明期だったといってよいと思う。この時期、インターネットの可能性とフリーソフトウエアの理念とあいまって、IT業界へと自分自身のキャリアの舵を切ったものだ。
一方で、2000年前後に訪れたネットバブルの崩壊やディストリビュータにおける勝敗(これは崩壊前に上場して資金を確保できたかどうかに大きく左右されている)によって翻弄された人も多数ある。TurboLinux創業者のCliffもあのとき去っていったし、RedHatの経営陣も創業時から見れば一新されているといっても過言ではないだろう。VALinuxも業務を大きく変え、SuSEも変わった。
いま、OSSそしてフリーソフトウエアに関わるビジネスの第4期が始まっているのではないかと思っている。第1期は90年代に至るまでのRMSやPerlなど、フリーソフトウエアの時代、第2期はLinuxによって市場がフリーソフトウエアを再発見した90年代、第3期はESRらによってOSSというマーケティング活動が開始され、ネットバブル崩壊から現在にいたるエンタープライズ市場にOSSとLinuxが定着してきた時期だ。この第3期はあと2−3年は続くだろうが、すでにOSSというマーケティング活動はおそらく役目を終えたと言ってよい。
第4期は、社会の変革としてのフリー、自由あるいはオープンのビジネスモデルの変革期になると考えている。企業とユーザ、プログラマーとマネージャ、政府と市民の関係に変化がもたらされる。昨日逝去されたP.ドラッカーがその著書断絶の時代の中で述べているように、起業家の時代、知識の時代となり、テクノロジストによる社会となっていくのである。このとき、フリー、自由あるいはオープンがもたらすものは、大きいと思うのである。国領先生のオープンアーキテクチャは、フリーソフトウエアとP.ドラッカーと、今の時代を結びつけてくれていると感じている。
すべてが始まってそして評論家が解説を加えるようになれば、あるいは時代の変化が分かるかもしれない。しかし、そうなってからではきっと遅いのだ。Tipping Pointを読んで、改めて感じるのである。いま世の中では、まさに着火点に達している、そう感じるのである。
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