去る5月19日、わたしの大学時代の指導教官である伊藤弘昌教授の退官記念講演会および記念パーティに出席してきた。
わたしは伊藤先生が教授になったときの最初のB4学生であり、成果の少ないスタートアップの暗黒時代(その後の華々しい論文数から、そのようにOBに呼ばれている)のできの悪い学生だった。
研究室発足時、B4,M1,D1の3人からのスタートだった。そのときD1だった川瀬晃道氏は、現在名古屋大学で教授となっている。彼は非線形光学効果を用いたテラヘルツ波発生によって世界をリードしている。
さて、記念講演では、渡邉剛名誉教授によるお話しを伺った。渡邉先生のお父様と、伊藤先生のお父様は、ドイツのどこか(失念失礼)の大学で一緒に研究した友人であって、お二人も幼少の頃から兄弟分としてかわいがられたとのこと。
講演では
大学は、明治ー平成にかけて変化している。昭和では、経済大国化によって文化の脆弱化が見られ、平成になって教育改革のスローガンのもと、教養教育の終焉ともいうべき事態になっている。教養教育については諸説あるが、大森荘蔵先生の定義がよい。社会知性。創ると言うこと。3本柱の芸術と2本柱の芸術に分けられ;教育は3本:-理論、教員、学生;研究は2本:研究者と評価者;音楽は3本:作曲家、演奏家、鑑賞者。話すときには大事にすること。:3つのi。interest, informative, inspireが大事だ。
を伺った。ウイットに富んだ笑いのあるお話しで、すっかり引き込まれたところである。