オープンソリューション社会とOSSのmethodlogy
「OSSはtechnologyではなくmethodology〜培うべきは技術論ではなく方法論」
わたしが講師を務めている神戸情報大学院大学(KIC)において、私のインタビュー記事が先月末に掲載された。小一時間ほど様々なお話をインタビューアにさせて頂いた中で、話のエッセンスを抽出して記載されている。
今回、とくにお話したことは、
OSSとは、新しい技術(technology)ではなく、どうやって技術を作り出すか、どうやって技術をメンテナンスしていくか、ひいてはどうやって仕事していくかという方法論(methodology)だと考えています。
という部分に集約されているとおもう。
この最後の「どうやって仕事していくか」ということについて、私にOSSとソフトウエアに限らない仕事論を結びつけてくれたのが、国領先生である。
國領二郎、『オープンソリューション社会の構想』では、自律・分散・協調によってさまざまな社会システムが動くモデルを唱えている。中では、Linuxのようなモデルについても分析、提唱している。
OSSのコミュニティやビジネスの渦中に身をおくなかで、身をもって感じていたことを、うまく整理してくれたように思えた。もちろん、本書がすべての答えを示しているわけでもない。答えを出すのは、自分だから。
認知限界に依拠したビジネスモデル
本書のなかで、認知限界の話がでてくる。esakaさんのblogでは、
個人的に面白く読んだのは9章の「知的協働の誘因設計」。情報財の収益モデルを考える上で「希少性」について考えるのだが、人間の認知限界を希少な資源とする話は面白い。この点を活用したビジネスがこれから活性化する気がする。
として、この点に興味を示しておられる。
実際のところ、オープンな連携のなかでOSSの開発やビジネスが進められている一方で、アナログ的な価値によって支えられているグループが同時に存在して、そのグループが「自律」「協調」「連携」によるビジネスを裏側で支えている。このグループとして、表で活動することはおそらくない。実は、これらの参画者は、それぞれがビジネスのキーポイントに立脚しており、情報量と質において「希少性」の高い人たちなのである。その人たちの「リンク」が、高レベルの環境認識を背景としてなされることで、ビジネス環境、エコシステムが形作られているのである。
これは、「コンピュータネットワークによって散在している人間の知を結集」しているのとは異なる事象である。私は、人間の知の結集は、WEBのようにではなく、神経回路のように、集約と分散の構造となっていて、集約点間の太いリンクで調整されるような形になるのではないかと、考えている。そして、これは、人間の認知限界がもたらす帰結なのだと、考えるのである。
参考:国領研究会
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1 コメント
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I agree.